さち福やでの出来事から考えさせられた食事のマインドフルネス

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この前、さち福やに行ってきました。

いつもはその辺で済ますのですが、なんか「済ます」という感覚になれず、時間も食事も「味わいたい」が勝りまして。

たまに人と食べる時にだけ行くさち福やへ。

鶏とエリンギの炙り焼きゆず味噌ソース定食を選択しました。

それで運ばれてきた定食を見て「あちゃ〜」となったのがシーザードレッシング。

たぬを
たぬを

箸の袋くちゃくちゃやないか

サラダは好きです。

でも、鼻を抜ける系のチーズや乳製品がまだ苦手なので、なかなかシーザーに手を出せず。

悶々としながら、十五穀米のご飯を3杯おかわり。

運動後なので多めに食べる、柚子味噌ソースはかけずにディップすることでさらにご飯が進む、ご飯が美味しすぎて切り干し大根とひじきで進む。

そこでシーザーサラダが、鶏エリンギと同じ皿に居るので、チラチラ目に入る。

「もったいないことしたなぁ」
「自分が我慢して食べればいいんやけどさ…」
「でもせっかくの楽しい食事で嫌な思いをするのもな〜」
「何回か来たことがあったから覚えておけば、、」
「でもこれがもっと重大なことじゃなくてよかったなぁ」
「別のことで同じようなミスがないようにしよう」
「何かを未然に防ぐために、このシーザーサラダは犠牲になってくれたのかも」
「ていうか、残すことにめっちゃ罪悪感もってるやん自分」

たかがシーザーサラダ、されどシーザーサラダ。

なんか全然無視できなくて、すごく考えさせられました。

今書いてて思うのは、「まぁ食事でちゃんとマインドフルネスはできてたな」です。

食も時間も味わいたいという当初の目的は達成してた(笑)

今回、何もまとまりのない記事ですが、「こういうのも書いていこう!」というか、「何か書きたいな」と思って記事にしました。

何事も最初は「やってみたい!」「やってたら何か楽しい!」が原動力だったりする。

僕の場合はブログを書いてた時と違ってライター業を仕事にしてからは、楽しいもあるけど、責任感とかやりがいとか金額とかが混ざってきて、シンプルな気持ちの割合は圧迫された。

「シーザーサラダを通して何か今後のミスを防ぐ」はまぁまぁマジメな人やったら思いつきそうと思うけど、

シンプルな楽しさを思い出すきっかけもくれたのかな〜というのは書いた後になって、やっと気づけました。

一周回って、またまたスタートラインに戻ってきたか〜〜。

有難うシーザーサラダ。

たぬを
たぬを

結局いっこも箸つけずに残したくせに!

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